技術から言えば1/5位のレベルで今よりも単価が3倍位高かったみたいなんだけど本当?
10年前くらいらしいけど、HTML組めるレヴェルで500kとか貰えたって・・・
ていうかHTMLはプログラミング言語じゃないんだから組めるとかふつう言わない。
技術は昔の人のほうがはるかに高い。
なにせ資料はまったくなく、自動化も簡略化もサポートも少ない。
となれば、コンピューターのことをちゃんと理解してないと動かすことすらままならん。
オタクな職業だったから、絶対数が少なく単価は高かった。
今のように誰でも1,2週間でプログラマを名乗れる時代ではなかった。
少なくとも新人教育にはマジで半年はかかった。
コンパイル1回するのに計画書が必要な時代ですね
人が読んで解析したりな。
いわゆるInterne breakの頃(90年代中盤)
HTML組むだけで=Web pageのデザインをするだけで月100万の仕事は存在しました。
今はどうなんですか?ツールの充実で納期は5倍ぐらい短くなったかもしれませんが、
会社としては人月あたり数十万以上入らないと経営が成り立たないですよね。
デザイン=狭義の見てくれ(表現)もエンジニアがやることがあって失敗作続出でした。
当時は標準ははっきりしないし、ユーザーが使いやすいデザイン規範も決まらないので、
HTMLソースもハチャメチャなものもありましたね。これを技術的なレベルの低さとも解釈できるでしょう。
でもどの時代でも、はっきりしない分野、新しくて方法論が定まらない分野ではハチャメチャな
ものがありますよね。
昔のITは、当たり前だけどユーザーが使うインターフェースと、アプリケーション本来の機能を一緒にして、
時にはハードも組で売ってました。
最初は1980年代にハードが切り離されて「オープンシステム」とか呼ばれるようになって、
インターネットの興隆後にインタフェース(Web)が切り離されるようになりました。
今、データの保存(あるいや永続化)にはデータベースを使うのが当たり前ですよね。
実はこれは、インターネットの興隆前はそんなに当たり前ではありませんでした。
自前の保存システムや永続化システムが、システムに埋め込まれて売られることが
非常に多かったのです。
脆弱だし、性能もよくないはずですが、「アプリケーションに特化してある」と言い訳していました。
こうしたコンポーネントも組になって売られている分、今との比較では、お金も納期もかかってたはずです。
>>20
RDBの流行は、インターネットの興隆と関係ないという意見も多いかも。
直接的には、性能と安定性の向上のせいかも。
「インター」に限らずネットワークの機能向上は、
システム中のコンポーネントを分離あるいは分散させるという意味で、
RDBの一般化についても重要な要素だったでしょう。
ところが90年代、ネットワークハードウエア、あるいはコンポーネントの分散化、並列化の
技術者は極端に少なく、あるいはこれを専門の職、あるいは独立した仕事と考えてお金を
払う思想は全くありませんでした。できる人が便利屋的にひっぱりだされるか、
組織によっては「誰もそれの知識がない」という状態でした。
当時Internet breakと平行してホットだったのは「オブジェクト指向」でしょう。
世の中の誤解を良いことに、継承だけで(encapsulationなしで)オブジェクト指向を標榜して、
10倍のお金をもらうこともあり得た時代でした。
今もAjaxとかWeb2.0とかを標榜してるが実は…とかいうのありませんか?
オブジェクト指向で開発するから、今回はちょっとお金多く貰うけど、
次回や修正の際は短納期で安くできるよ、とかいう営業トークをしたようです。
実際はそうはなりませんでした。
今そういう営業トークは誰も信じませんが、実はオブジェクト指向が浸透した今は、
多方面でじわじわそういう効果が出てると思います。劇的でないにしろ。
昔=無計画に設計し、人海戦術でこなす。大金が動いていたのでこれでもなんとかなる。
今=計画的に設計し、既存のものを最大限活用し、少人数低コストで実現することを最大目標とする。
まあ今でも人海戦術大好きな連中が化石のようにはびこってるけどねw
将来を棒に振りたくなきゃ、そんなとこに参加しないこった。
>>22
これはおかしい。昔はシステムが高かったからそんな無計画になんてできるわけがない。
そもそも人海戦術というが、昔はそんなにプログラマなんて人いなかったから人海戦術は物理的に無理だし。
そもそも、昔の人はそういう環境しかなかったのだから。gotoでしか分岐できなかったんだから。
そういった時代を生きた人の中で優秀な人が改良改良を加えて今の開発環境ができた。
というプロセスを忘れてはならない。今の人がある日突然gotoをなくしてJavaやOOを開発したわけではないんだから。
おっさんたちの中の優秀な奴らが、修正を加えた構成気を自分たちの功績のように語るのは問題あるぞ。
今は、そういった過去の問題点への改良のおかげで、高度な開発環境を手にできてレベルが低くても開発できるよう
なったおかげでプログラマがたくさんできた。同時にコストも下がった。
設計って書いてあるだろ。
君の言ってるのは、全て実装の話だ。
設計者と実装者がイコールであった時代になにを言うんだ。
いや正確には設計者は実装のベテランが担当した時代だ。
今のように新卒SEなんて言葉がなかった時代だぞ。
今と大きく意識が違う点として、ハードの価格というのもあるでしょう。
ハードディスクなんて、まずは利用が考えられない時代がありました。
1980年代: オフコンで中華なべぐらいの50KBのディスクが数百万
1990年代はじめ:PCにHDDがつくけどPCのシステムの仕事はなく、
ワークステーションでも数十メガあたり百万。
私の場合では、容量を気にせずハードディスクを使えたのは1990年代中盤からです。
ハードディスクに限らず、メモリ、ディスプレイ、なんでも同じです。
当時は、こうした資源をケチケチ使う技術がいろいろありました。資源をケチることは、
ハードを含めたシステムの全体的な価格を抑えることができるので、非常に重要視されました。
設計の非常に早い段階から、ハードの制約(どうケチるか)が関係者の頭に必ずめぐってました。
もちろん、これは出来上がりの美しさを歪めることが多かったです。でもお金には代えられない。
逆に、90年代中盤ハードの価格が下がりだしてから、ケチケチしない「富豪プログラミング」
という思想が出ました。ソフトウエア工学的に正しいし、人に優しいし、今はこちらが当たり前で
死語ですよね。
>>25
そんなことは無い。
1970年代後半、PC-8001ですら32kB RAM載ってた。俺のは64kBに拡張して
CP/M動かしてた。1980年代初頭にはPC-9800シリーズ用の5inch HDDが
登場して、これですら最初から10MB有った。
1990年なんて既に64bit RISC WSが発表に成って、ウチの自宅でまだ稼働
してるが、最初から540MB HDDが載ってた。それ以前(1980年代)に使ってた
R3000マシンには、2GBのHDDを増設してた。その当時既にGB超えてたよ。
そんなけ有っても、速度の面からケチってCのような高級言語使わず、
MIPS RISC命令をマシン語で組んでたけど。CISCと違って、MIPS命令は
マシン語で組み易かったし。
昔ながらの方法で設計を乗せてるプロジェクトは多いよね。
フレームワークとかみ合わなくて、昔ながらの方法からさらに手間が倍掛かるだけだっちゅうの。
センスの問題なんだよな。
大局的な設計が出来ないというか、最初から全部詳細に決めてしまわないと
全体を掌握できない人って居るわあ。
フレームワークもそのごく一部に過ぎないけど、現代の設計技法ってのは、
アリモノを最大限に利用して、作り物を最小限に減らそうってことだからな。
アリモノ使って上手く行かない場合には、どちらかになんらかの論理的な矛盾
があるはず!と考えて、論理的に上手い設計にするにはどうしたらいいのか?
を常に考える能力が要求されてくる。
フレームワークなんてのは、システムの物理設計の塊という側面も持っている。
当然、論理的設計というものから、遠くかけ離れた部分も多い。
だから、正しい論理設計を満たせないようなことがあると、
フレームワーク側が頑張って論理的に対応するというのが本来あるべき姿だ。
フレームワーク様が真ん中にふんぞり返っていて、「さあお前ら使え」
みたいなとこは駄目だ。
「基盤チーム」みたいなのが権力強いようなのは、糞プロジェクト認定。
ただし、正しい論理設計ってのは、どこにも解が存在しない。
説得力のみが命だ。
「コレが正しい論理設計なのだ」と言える程の設計が出来ないから、
というのが、そういうのが蔓延る諸悪の根源なんだけどね。
図も、なんとか定規を使って書いたり。
80年代の話。
アセンブリ言語で開発してたよ
昔ながらの人間しか居ないので、フォーターフォール方式しか頭にないってのがあるな。
>開発手法は、環境にそこまで依存しない
そうだね。てか、ぶっちゃけ無関係だね。
環境で比較してどうだったってのは、フォーターフォールがどれだけ効率悪いかって話には、
あんま参考にならんな。
2000年 HTMLができるだけで単価90万とか余裕
Javaの案件はあまり無かったから単価50万とかだった
業務系案件はだいたい70万がデフォだった
新人でも50万は貰えてた
基本設計などができれば120万もザラじゃなかった
なぜかVB技術者がもてはやされてたw
2005年 HTMLが出来ても単価20万とかザラ
要件定義・基本設計が出来ても単価が60~80万
JavaPGで単価50~65万
新人の単価は30~40万くらい
VB技術者涙目の時代到来
2010年 基本設計~テストができ、リーダーとして共通基盤を構築していくPMOですら
単価40万の時代到来
新人は受け入れ拒否の会社だらけ
これまでのPGしか経験の無い低スペックの技術者は淘汰されまくり
やっとで案件につけても、40万固定で350時間労働がデフォになってきつつある
2015年 路上生活者となっている元IT技術者集団のインタビューが2chで祭りに
システム開発=中国人・韓国人・インド人の仕事として世間一般にも定着
2020年 メインフレームによる内製に回帰
2025年 2038年問題がマスコミにとりあげられるようになる。
2035年 開発環境の向上に頼りすぎた新人は、過去の過酷な開発環境についていけず、定年退職したCエンジニアが再雇用でボロ稼ぎ。
1.0は、フロッピーをコピーするときに何回もコピー元とコピー先を入れ替えたんだよな。
2.0で、入れ替え回数が8回まで減って、画期的な技術だとか騒がれたものだ。
まだ当時のフロッピー残ってて、MSXのエミュレータ上で動くよ。
動作確認しかしてないけど。
制御する未来を先取りした住宅のプランはどこへいった?
そんなのは、昭和時代の人達が夢見た未来の姿でしかなかった。
実現することなく、夢のままで終わった未来予想図。
プログラムばかりじゃない、入力データにもそれぞれ専用シートがあった。
それをキーパンチャーが80欄カードやフロッピーに打ち込む。
キーパンチャーってぇと、昭和40年代のミニスカートブームをどうしても思い出す団塊世代の俺。
キーツーフロッピーなんて装置もあった
昔のITの特徴は、やっぱ大型機全盛時代だったことだろ?
IBMの専用端末なんかカラー表示も可能だったが
くそ思い鉄製の重厚長大な装置だったな。 重さが
20~30キロぐらいあったな。
そんな端末が1台の大型汎用機に数百台とかぶら下がっていて
混んでるとトンデモなく応答が遅かった。
その昔、HITAC5020という当時のスーパー級コンピュータを見学したとき、
エンジニア2人がXYプロッターの前でグラフを描いていた。
20分ほどかけてマトリックスを描き、それが終わってツィーーーィとエキスポーネンシャル
カーブを描いて操作が終わった。
A「これだけ?」
B「そう・・・らしいな・・・」
A「20分間の料金いくらすると思ってんだ?」
B「・・・ごめん・・・」
COBOLみたいな宣言の記述が無駄にでかくなる言語には
こういう勉強法はありだと思うけど、
JavaとかPHPみたいな、ルーチンを書くのがメインの言語には合わないんじゃないかな
たかが20~30年ほど前の本を見てみると面白い。
たまたま見つけたPC-8801入門書は、全くの初心者向けでも、1章からいきなりBASICプログラム。
ミニゲームや簡易家計簿プログラムの解説を経て、最後にちょっとだけマシン語に触れたり、
周辺機器の回路自作についても少しだけ解説している。
明らかに小学生くらいを対象にしたパソコンゲーム本も、市販ゲームの記事は半分程度、
残り半分はゲームプログラムの解説だ。
初期のファミコン攻略本でさえ、後半はファミリーベーシックを使った
ゲームプログラムや音楽再生プログラムの解説に使ってる。
当時の入門者や小学生プログラマでも、そういう本を読み通せる人なら、
現代の並の職業プログラマ以上のスキル水準だったのではないかと思った。
有名アプリのプログラマが実は中学生とか結構あったね。
今は中学生がプログラミングしたから有名なアプリとかしなかないかも。
フローチャート定規は今でも売ってるね。
>>252
どこで?
あれ、便利だったな。
MS-DOSだったけど、無理やりWin3.1をつこんで触っていたな
先日起動してみたら、バックライトが調子わるかっらwwww
予測されていたけど、まさにその通りになった。
(何千ステップでいくら万円のように)
当時売っていたIT専門書にも、見積もりステップ数と記述してある
500万円するサーバーの
HDD容量が20M、メモリー8Mとかだったな。
VAX-11はブートディスクが8インチFD、
取り外し可能なHDDパックは電子ジャー並みの大きさだった。
障害起きたらメモリダンプ解析。
OSのスタックまで追っかけた。
年齢上がってから生の16進数を暗算でビットにバラシたら若い奴に驚かれた。
「よく暗算でできますね」ってw。
この仕事してたらできて当たり前だと思ってたが。
俺みたいな2000年代前半に新卒だったおっさんは、あの頃本当に苦労したんだよ。
世間はやたらとIT、ITうるさく、システム開発の仕事は山ほどあった。
でも、誰もノウハウ持ってない。
結果、今からするとメチャクチャなシステムが世に溢れていた。
たとえばこんな感じ。
某社の入社説明会の受付フォームなんだけど、サーバはredhatのapache、
言語はperl、DBはwindows上のSQLServer。
linuxとwindowsが混じってる変な構成で、どっちのサーバもPCかってくらい遅かった。
1つじゃ処理が追いつかないのでそれぞれ2つ用意し、ロードバランサーでアクセスを振り分けていた。
当然DBに差異が出てくる。
それを毎日営業が目視で潰していくという間抜けなことをやっていた。
スクリプトでdiff取ると負荷かかりすぎてサーバが死ぬからw
カオスな時代だったなあ。
>>582
> 俺みたいな2000年代前半に新卒だったおっさんは、あの頃本当に苦労したんだよ。
> 世間はやたらとIT、ITうるさく、システム開発の仕事は山ほどあった。
確かに2000年ぐらいから、開発がめちゃくちゃになって
ドキュメントを書かないとか、コメントを入れない世代が現れてきた。
あれは理系の大学でプログラムを教えるようになったのが原因。
大学の授業では設計の重要性とか、可読性とか、チームで協力する
というようなことは教えられないからね。
とりあえず動くの作れれば天才!みたいな風潮があって、
そういう理系の馬鹿どもが社会に出てきて、むちゃくちゃになった時代。
チーム作業ができないんだよね。ああいう連中は。
引用元
https://nozomi.2ch.sc/test/read.cgi/prog/1279300411/
管理人からひと言
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